2013年11月21日木曜日

草間弥生ブーム/版画の偉力

 1980年代の終わりころ、短い間だったが「秀友通信」というわずか6ページくらいのリーフレットを制作し配布していたことがある。その通信は止めてしまったけれど、今その内容を見ると現在も活躍している画家がいるということは、うれしくたのもしい限りである。
 版画は一流アーティストの作品を安く購入できるということで、1980年代から90年代の半ばにかけて大いに普及した時期があった。岡部版画工房の制作した数々の版画、岡部さんは、刷師としてとてもいい腕をもっていたので、質の高い版画を沢山制作している。今日の草間ブームを作ったきっかけになった人ではないだろうか。
 岡部徳三氏は、20年前版画工房をはじめて以来、オノサト、アイオー、草間弥生、関根美夫、薗部雄作、前田常作、彦坂尚嘉、ジョン・ケージ、ナム・ジュン・パイクなどを手がけてきた。特にオノサトのシルクに関しては、100種類以上も手がけ、版画を普及させることによって、コレクターを掘り起こしていくということに大いに力を貸した人として有名である。
 今や、老若男女日本中の人々の間で、美術に関心のない人にも、草間弥生は多くの人々に知られているのではないだろうか。ルイヴィトンとのコラボレーションで、バッグのデザインをしたりオブジェを作ったり、テレビでの紹介も多く、その他水玉/ドットの画家として今や大ブーム、時の人である
1929年(昭和4年)生まれだから、80代半ばになろうとしている。若くしてアメリカに渡り、当時から自らをアートと称してパフォーマンスしアメリカで活躍したのち日本に帰国、日本から永年にわたって発信して自らを売り込み、その絵画表現は今も世界を沸かせているアーティストの一人といえよう。

「版画は尽きることのない人生の足跡である・・・・

 私の版画を愛して下さるあまたの人々に心をこめて、私は制作している。

 その制作の日々は、大勢の人々の心に私の思いを深く、まっすぐに純粋に、透明な輝き
 
  をもって、伝えたいという願望に包まれている。」~草間弥生全版画集 帯より~

2013年9月24日火曜日

もとエリートバンカーが自宅で画廊を

 G 氏は私が知りあったころはスイス銀行に勤務していた。インドの人でまだ40代後半だと思う。夫人は、といっても書類上の結婚はせずそうするとガ、ールフレンドとこちらでは言うらしいのだが、南米のコロンビア出身、昔の日本女性のように控え目で静かな美しい女性だ。
 2人ともニューヨーク大学出身でマンハタンのアパートを売りプリンストンに大きな家を買い移り住んでから彼女は週に3日、ニューヨークでソーシアルワーカーとして働いている。G氏はインド人特有の彫りの深いハンサムな人だ。
 美術を通じて友人を介して知り、ニューヨークにくると時々彼らの家を訪問しひと時を過ごす。
 G 氏から自宅の1室をショールームにしてローカルアーテイストを紹介していきたいと、メールで写真等送られてきたので訪ねることになった。G 氏は今は拘束された仕事は持たず時間が沢山あるようだから、そしてインドの人特有のビジネス感覚が優れているからどのような展開になっていくのか今後楽しみである。
 コンピューターの出現により社会の常識も大きく変った時代にあって情報を得るのも容易になり私などの世代が生きてきた時代との隔たりをまた感じるひとときでもあった。

 
 


2013年9月22日日曜日

ニューヨークの寿司レストラン

 レキシントンのコーナーにある『みしま』にこちらで会社を経営している中国人のご夫妻が夕食に『みしま』に行こうと招待してくださった。
 そんなに広くないシンプルなたたずまいの店にはすでに席がなくしかしご夫妻が常連だとみえてサーブする女性が気を利かせてしばらくして席を用意してくれた。注文しようにも他の客のことで手が回らないらしく30分もしてからようやくオーダーしてホツ、としたのだが。
 新鮮でボリュームもありアメリカ人やニューヨークに住む日本人以外のお客に愛されてフアンが多いらしい。主人「シエフ」の名前もきかなかったが少しだけ話すことができた。レストランを初めて18年になるという。
 お店のインテリアや雰囲気で高級に見せていてとても高い寿司レストランが多い中とても繁盛していて驚いた。
 注文を取りにくるのが遅くとも席がゆつたりしていなくともご主人が愛想がよくなくてもお客が満足しているレストラン、、とても印象的であった。
 

2013年9月21日土曜日

生田長江「震災記事」-関東大震災後1カ月の日記

生田長江の顕彰を何年もの時間を費やし研究してきた友人がいる。
生田長江は鳥取日野町出身、日本の近代を病と闘いながらいき抜き、文学者、評論家として多くの足跡をのこした人とある。
 『白つつじの会』生田長江顕彰会から小冊子が送られてきた。
貴重な生の記録でありこのように覚めた目で大地震という未曽有の天災から将来への洞察をしている生田長江という人はどんな人であったのであろうか。
1923年9月5日
東京市外、北品川御殿山718 中村古峡君邸内にて筆を執りはじめる。
                           生田長江
午前11時50分頃、突如として地震が始まる。いつもの水平動と異なり上下動だなと気附くと共に、予は本能的に要三郎の大卓の下へ頭をつき入れしが,動揺は更に猛烈を加え来たりしかば、3人とも夢中になって階下へ飛び降りる。
_で始まる日記。
 顕彰会の代表である河中信孝さんはドイツの女流画家であるケーテコルビッツを通じて知った永年の友人である。彼が生田長江のことを顕彰していると聞いてはいたが近いうちにまとまった形で本になるらしい。この小冊子の最後に解題として河中さんは、『生田長江は関東大震災の日、1923年9月1日からちょうど1カ月間、詳細な日記をつけている。あの非常時、大難のなか、取り乱さず冷静に社会を見つめている長江の精神性と家族の中で周囲に目配りし、来客も少ない長江の暮らしぶりを示す貴重な資料であり、社会の動きに対して庶民の暮らしに共感をよせ、財閥、大資本の横暴には批判的な目を向けているヒューマニスト長江を見ることができる。』
 この小さな冊子に現代をいきる私たちに多くの語りかけがあるように思い紹介したいと考えていた。
 白つつじの会 生田長江顕彰会  0859-72-1300
 http://my.sanin.jp/site/page/hino/choukou/

2013年9月20日金曜日

Asian Week

 ニューヨークでは各地で9月半ばから秋のオークシオンが開催されている。
2大オークシオンハウスといえばクリステーズとサザビーズが知られているがながい歴史があるので信用は絶大である。
 私も西洋版画を扱っていたので以前はよくオークシオンで作品を購入したものである。久しぶりにクリステーズの前を通り、日本美術や韓国、また中国美術のオークシオンの下見があり訪れてみた。
 レセプシオン近くのソファはほとんど中国の人々でうまり中国語が飛び交っている。最近はどこも中国パワーが凄い。オークシオンに参加したいと思い聞いてみると以前はオークシオンに参加するのに保証金?など必要なかったのに最近は保証金を払わなければ参加できないようだ。主に中国美術のオークシオンには。
 日本美術の下見会場で見た明治期に主に海外に輸出されるためにつくられた工藝品のかずかず、、こんなに精密につくるのは人間わざとは思われないほど素晴らしく美しい。この時代の日本の職人の技術にヨーロツパの人々は驚き魅了されたときく。この時代のものには霊的なものがあると感じるのは不思議である。
 時代に反映してすべての価値観が大きく変わった現代、美術の世界でも繊細さ等を求めることよりもわかりやすく誰にもアピールするものが好まれる時代になったと感じている。日本美術のオークシオン会場には訪れる人も少なく静かであったけれど何人かの熱心な人々の入札で沸いていた。
 

猪瀬東京都知事のひとつの決断

 何カ月か前、東京都知事の猪瀬さんがニューヨークを訪れて、地下鉄やバスが24時間運航しているのを知り感激してその制度を東京にも施工しようとされたと聞いた。その後月に何度だったか深夜のバスを運行されることになったときいたが、現実に運航されているのか、その結果人々の利用がどれほどあるのかきいてみたい。
 ニューヨークと東京がどうして同じように考えるのか私にはわからない。ニューヨークという町にはそれが必要なのであつてなぜ東京がそのことを真似る?のか真意がわからない。このような胆略的で独りよがりな発想を知事ともある人がされることに驚くのである。日本という国の人々はおおよそ、夜中にバスに乗ったりしない。それとも仕事で夜勤の人たちが利用するのだろうか。それならばまた話しは別なのだが。ニューヨークは24時間眠らない町なのだ。
 それよりも日本の交通費の高いのが何とかならないだろうか。とても高い。海外に住んでいる人たちがまず日本にきて物価の高いことに驚き、その国で生活している私たちを心配してくれることがある。
 ニューヨークにきてうれしいことはまず交通費が安いことだ。誰もが利用している7 days unlimitted card を30ドルで購入するとそのカード1枚でおおよそ7日間何度でも乗れる。バスも地下鉄も乗り放題なのだ。私がこちらで歯医者に行く時40分くらい地下鉄にのり終点の駅からバスに乗り換える時、そのカードで乗れるので本当に便利だ。町はゴミも多くきれいではないかもしれないけれどそのことは大して問題になることではないと思う。
 交通費が高くてなるべく外出を控えているという人たちの多い我が国の方が何か問題なのではないだろうか。私はこの交通費のことは些細なことかもしれないがニューヨークを訪れるたびに常に感激し感謝し恩恵を楽しんでいる。

2013年7月4日木曜日

銀座松坂屋が88年の歴史を閉じた日


 松坂屋は何となく庶民的で親しみがありオフイスの近くなので毎日のように何かを買う時は利用していた。
主にデパチカといわれる地下のフロアーには食料品など買うのによく出かけ店員さんやキャシャーの方たちとも親しくなったので「お疲れさまでした、有難うございました」とお互いに言葉を交わし、お礼を言った。今日630日は松坂屋が閉店の日であった。
 1924年開店以来今日まで88年の歴史があるという銀座の松坂屋は多くの人に親しまれたと思う。気取りがなくて素朴で日本のデバートの原点のような店であったと思う。今日は8時に閉店してからデパートの表にメンバーの何人かが並び菊谷店長さんがあいさつをされた。そしてくす玉が割られ華やかで素朴で何気なくながい間愛された松坂屋は幕を閉じた。
 近所のビルのテナントにも 「銀座6丁目10地区第一種市街地再開発事業に係わる建築計画並びに解体、新築工事に関する、、、」という冊子が配られた。それによると2017年に店舗、事務所、多目的ホール、そのほかが併設された複合施設が完成するらしい。地上13階、地下6階と今までにない装いで。
昔ながらの銀座を懐かしむ人々の多いなか老舗といわれる店が姿を消して行くなか変わりゆく銀座も歴史のひとこまである。








 


 



2013年6月10日月曜日

美術館はいま


1980年代後半から1994年ころ迄日本はかつてない好景気となり、バブルタイムと言われる時期がありました。株式や不動産の投資ブームが起き、絵画の世界でもそうでした。私はこの当時を目の当たりに見、渦中にもいたのでした。

しかし、主に西洋版画を扱い、それも日常見られる類のものでなく美術史上価値あるといわれていたミュージアムピースでしたから、一般の絵画ブームの喧騒に飲み込まれませんでした。おかげさまで日本の建設ブームと相まって美術館の建設もさかんに行われ、多くの秀れた版画を美術館などに納めることとなりました。

今、ここ10年以上、当時建設された美術館や文化センターがどのように運営されているのか・・・最近少しずつ以前おつきあいのあった美術館の訪問などを再開しました。

私が美術館に出入りしていたころの学芸員の方たちはほとんどが退職されたり、地方の美術館の館長になられたりしておられ、現在中心となって運営に携わっておられる若い学芸員の方たちとお会いすることが多くなっています。美術館の収集費が予算から削られて購入することができないという現状のようです。

素晴らしい建築でありながら、運営に苦しんでいる美術館が数々あると聞いています。

安部首相は海外に多くの貢献をしようと莫大なお金を使っていますが、まず日本国内に目を向け声を聞いてほしいと思うのは私だけではないと思います。文化にもっと予算を、と声を大きくしたいのです。

2013年5月8日水曜日

アメリカと日本のある事情のはざまで

 東京でかぜをひいたままヒコーキに乗った、しかも朝6日50分羽田発、国際線に羽田から乗るのははじめてであつたが一睡もしないで乗ったヒコーキの中の乾燥で風邪をこじらせて体調を悪くしてしまった。
 滞在先のアパートで何も食べず2日間寝込んでしまった。私はタフ、、、であると自負していてかなり無理ばかりしてきたが今回は完全にその自信がうちくだかれた。
 もう無理のきかない貴方なのよ、自分の年を考えてごらんなさい、他の人たちはすでに多くは引退してゆつたりと優雅に暮らしているのにどうしていまもなおバタバタと貴方はしているの、と声が聞こえてくる。
歯の骨の移植手術を受ける;
 韓国人ドクターによるオペの日、臆病ものの私が良く決心したものだ。どんなことがあっても歯の治療を完全にしなければ私の今後の健康も保たれず仕事上も必要なことなのでと思いつつ信頼できるドクターとの出会いを希望してきた。N大の信頼して相談にお乗りくださる先生からはやはり骨の移植となるとアメリカが先端であるのでと私の決断を促される形でその日をむかえた。
 3時間も経過して手術が終わり、電車で帰るも身体中がどうかなったみたいにふらふらと心もとない、1週間たつがエネルギーが戻らない、窓からの風景は3月の半ばを過ぎたというのに道に雪が残り、木々は葉をつけることなく裸のままである。九段のお堀端ヤ上野での花見客の喧騒が聞こえる。





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インターンシップのこと

 社会の急激な変化を誰が期待しただろうかそれもそんなに長い時間の経過なくして、コンピユターの出現がすべてを変えたと誰もがしるところである。手で操作し、人々が気持を寄せ合いながらものずくりをしてきたことが一気に機械の力によって時間と空間を超えて距離がなくなったということだろうか。 

 そして社会のなかでマニアルができマニアル通りに動くことが多く自分の意思をはたらかせることなく物事が社会の中で動いてゆくことになる。
何年も前からT大学からインターン生を受け入れている。最初はいろいろな大学に電話してインターン制度を取り入れているか聞いたところ親切な応対をしてくれたところは皆無であった。
 唯一この大学からのオファーがあり毎年のように2人の学生が交互にきてくれるようになり私も時間が許す限り彼らに実修的な学びとして関心あることや美術を通じて彼らの意見もきき私もスピード感ある時代を生きるものとして学ぶことも多いと思っている。
 神様は人間にさまざまな賜物を与えられた。生きてそれを磨くとき素晴らしい輝きを放つことを知ることになる。さまざまな才能が開くときそれを強く望んだものがそれを手にいれる。
コンピューター社会はある意味で架空社会である。現実的でなくその架空の中で遊び、ゲームをし人との関係をもたないでそのなかで埋没することも可能である。学校で学び社会にでたときいろいろな問題が起き、対処できる体質がはたしてあるか疑問である。





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