1945年のクリスマス。イヴ、アメリカから5年ぶりに焦土と化した東京に戻ったベアテ。音信不通となっていた日本の父と母に再会したい思いからGHQの要員の1人としての帰国だった。、、、で始まる公演は”朗読力向上 “を目的とする企画で、演出は児玉 朗氏であった。
当時、22歳であったベアテが「男女平等」「女性の権利」などを憲法草案の条項に書き込んでゆく姿を出演者の多彩な語りと安藤 由布樹氏の即興演奏で語り継いでゆくという朗読とピアノ演奏でのコラボレーシオン。私はここ何年か、体調をくずしてから声がお腹の中から出なくなり、エネルギーの枯渇を感じるようになり声の回復を願いつつ、親しい友人が参加しているという朗時会に招かれた。その友人はとても艶のある透明感のあるクリアーな声で、立体的な奥の深い言葉として語られ日常と異なる世界にとても私は感動した。
ベアテさんとの出会い
最初、ベアテさんを見たのはコロンビア大学でのドナルドキーンセンターでの講演会であった。壇上で語られたベアテさんの姿を今も鮮明に記憶している。黒い日本の羽織を洋服の上に着ておられ、それがグレイの髪によく映えて、にこやかな微笑みとともに美しかった。それからベアテさんに手紙を書きニューヨークの自宅に何回かお伺いする機会があった。亡くなられた年の11月にベアテの親友であった杉本浩二さんが彼女の家に滞在しておられて私も招かれて杉本さんの手になるお寿司をいつしょにご馳走になった。
まもなくベアテさんの訃報を聞くことになり、少し前に亡くなられた夫のもとに駆け足でいつてしまわれた。
今年戦後70年ということでさまざまな企画がなされている、美術館での展覧会も戦争に関した企画も多くそれらを心に刻むという意味でも、次世代に継承してゆく意味でも心に留めたいと思うこのごろである。
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