2015年5月22日金曜日

近かごろ思うこと


美術品には無名有名にかかわらずそれなりの魂があると思う。
阿部合成の作品をメキシコに探す旅に出かけたことがあり、ついに8回もの旅を重ねて12点の作品を入手した。
 そのなかの1点は黒い牛を描いたものであり今にも駆け出しそうな勇猛さであったが、真ん中に穴が開き痛々しいものであった。なぜと持ち主に聞くとこどもたちがボールを投げて的中させて遊んだ、、、のだそうだ。
 そのままではと交渉して日本に持ち帰り修復し今は合成の故郷の美術館に展示されている。
美術品の運命
 30余年の画廊経営を経て最近はアートコンサルタントとしての仕事に移行しつつあり新しい分野でのスタートを試みている。
コレクシオンは個人的なもので親子や兄弟がそれを引き継ぐことはまれである。
欧米などの財閥たちがお金にまかせて購入したものを美術館として公的に国や財団が管理するという以外は、、、特に日本のバブルといわれた時代に多くの個人美術館が各地にできたが最近は閉館されるところがあるようだ。
 時代とともに変化する価値感、私たちが育った時代はもつたいない世代であり、簡単に捨てることができなかつた。次世代のひとびと、今後社会の中心となり責任を担うひとたちはコンピューターが必要不可欠である。
 簡単に誰でも一瞬にして手に入る情報、そのためにいろいろな過程を経なければならなかった時代であったのが努力なしに得られるという時代。ストレスの大きさは計り知れない。
 パソコン上で美術作品の売買ができるなど考えられただろうか。新しいビジネススタイルであるようだ。
 それにしても、美術品の価格の変遷も見ていると楽しくもあり悲しくもあり、驚くばかりである。最近個人の方からの相談で230年前に購入した西洋版画
を査定してほしいといわれ、いくつかの方法で調べて返事を差し上げると、為替の変動で当時と比べて半額くらいになってしまう場合がある。
そんな時大切にしてこられた作品を処分する必要がなければ,そのままお持ちになられて今後も楽しまれますように、と話をすることにしている。
 
 美術品は本来は価値が高くなるに違いないと人々は思うようである。しかし期待に添えないことも多いのだが相手の気持ちを大切に、今後もご相談に乗りたいと考えている。

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