2016年7月30日土曜日

二瓶作品「同潤会建築に思いをはせる」について


 今、当画廊に二瓶博厚氏の描いた作品「同潤会建築に思いをはせる」が掛かっている。実に不思議な面白い作品である。
 画面の中にいろいろな情景が点在し混在しているのだ。緑の中に埋もれた代官山アパート、並木の大通りに面した青山アパート(表参道にあった)、アールデコ風のらせん階段、角隠しをした花嫁、屋上で遊ぶ少年たち、お祭り、盆踊りの風景など。
 建築家として長年多くの建築の設計を手がけてきた二瓶氏の、建築家としての思いと視点がこの作品に結晶しているように思われる。建築家として普通にエスキースとしてペンか鉛筆により完成させる手法もあり得たであろうが、彼は日本画の顔彩を用いて、一枚の絵にこんなに盛り込んだところに、彼の思いの巡るさまが分かり感動を呼ぶ。
 彼は昨年5月に、竹中工務店東京本店の一階「ギャラリーエークワッド」で開催されていた「同潤会の16の試み」展を見て感銘を受けたことが、この作品のきっかけになったこと、制作に際し、同展示会パンフレット、兼平雄樹氏撮影の写真を参考にされたことを、二瓶さんご自身がお書きになっている。
 その一文は、広島のマンション管理会社合人会の月刊紙「ウエンディ」に掲載されていると教えていただいて、同社から送っていただいた。
 当画廊で開催した二瓶博厚個展を前に、ご本人の二瓶氏が急死されたため、二瓶氏から直接お話しを聞くことができなくなった今、ご自身が作品について書かれている記事は大変貴重に思われる。

二瓶さんの個展

二瓶さんの個展が、追悼展となり6/6一応は終わった。初日から毎日多くの人が訪れ、小さな画廊スペースの外にまで人があふれた。このようなことは予想もしなかったことだった。
一週間というのは短すぎて来られない方もあり、あまりにも心残りがあって6階の私のオフィス兼画廊に10点を移して7月中は展示しようということになった。私は海外に所用があり、6/23から10日間留守にしたが、その間は画廊スタッフに、週に3日来て表に展覧会の看板を出してもらった。二瓶さんの友人たちが仙台からO氏、青森県八戸市からK氏、そして個展会期中は海外出張中でいらしたS氏などお越しくださったという。
  二瓶さんが亡くなられて2ヶ月が経過したが、いまだにずっしりとした何かが私をおおっている。準備中のころ絵を描くためのスタジオに伺うのに近くのホテルのロビーでお茶をごちそうになり少しお話しをした。カンカン帽をかぶっておられた二瓶さんの姿が今も印象に残っている。
  今まで数え切れないほど多くの展覧会を開催させていただいたが、今回ほど大勢の方の有形・無形のご助力をいただいた展覧会はなかったように思う。ご遺族をはじめとして、建築家仲間のご友人の皆さまが本当に親身にお世話くださって、私どもの行き届かないところを助けて下さった。心から感謝の意を表したい。それもこれも、亡くなられた二瓶さんが人徳ある方で、温かな血の通ったネットワークをその人生で築いていたということなのであろう。人の死は、深い喪失に違いないが、喪失を分かちあうことが絆を深めたり、残された人の心にカタルシスをもたらしたりするのだ、とあらためて気づかされた。建築家のさまざまな個性に出会って多くを学んだのも、この展覧会のお蔭だ。特別にお世話になったK氏などとても温かな人で、励ましと勇気を与えて下さった。残念ながら留守にしていてお会いできなかったが、私にメモを残してくださりとてもうれしかった。二瓶さんに出会い、長く心に残りそうな展覧会ができて良かった!と思っている。


2016年7月11日月曜日

 抹茶ブーム


 今回滞在したアパートは、古いBrownston5階建ての4階の部屋であった。もちろんエレベータ無し。昨年までお世話になっていたアメリカ人女性のアパートはRiverside にあった。窓から見える風景は公園とその向こうにハドソン川の流れを見下ろす角部屋で環境の良いところにあった。一日30ドルで3年間、お世話になった。完全にプライバシーは守られてうれしかった。私が滞在する日数だけ支払えばよかった。彼女がコロンビア大学の事務職の仕事をリタイアしてから、1年契約の下宿人を入れたので、私は常駐する宿を失った。
  今回滞在したアパートの隣が、京都の人がオーナーらしく京都からきた日本人スタッフが駐在し日本茶のテイクアウトや飲み物の販売をしていて一保堂とあった。1717年から続いている老舗と看板に書かれていたが行く機会がなかった。でも若い女性たちが、外国人も含め抹茶teaを手にうれしそうに店から出てくるのに出会った。Macha-goと書かれた看板もいつも気になりながら、今回もパスした。” MACHA”というのも世界用語になったらしい。日本の人たちは真面目で本当の抹茶を使っているから美味しいにちがいない。

Sさんの墓参に

 二瓶博厚個展が終って一段落したころ、NYに行った。
10日間の滞在期間の第一の目的は、永年親しくしていたスイスのコレクター、S氏のお墓参りであった。
 カナダで精神科の医師をしている娘さんに連絡をとり、墓地の場所を教えてもらって、電車とバスを乗り継いで出かけた。クイーンズとブルツクリン地区の間にある広大な公園の一角にそのユダヤ人たちの墓地はあった。
  ウイークデーの午後のせいか、墓地は人影もなくシーンと静まり、高い木々の緑に染まった梢が、さわやかな風に揺れていた。
真新しい墓石はかなり大きく私の背丈ほどもあり、一昨年NYで亡くなった妹と、1941年に亡くなったという父親の墓と並んでいる。その白いみかげ石に刻まれた“Loved by his Family and Friends”という言葉に、やさしかった在りし日が偲ばれてチョッピリ涙が出た。
彼の亡くなった日付が墓石に刻まれている。見るとそれは2015630日、なんと私はちょうど1年後、1周忌に彼の墓前を訪れているのだ。それは全く偶然だったが、なにかに不思議な巡り会わせを感じたのであった。
聖書の中で、モーゼは120歳まで生きたとある。そのときまだモーゼは目もかすまず、気力も衰えていなかった―という言葉に私はとても感動を覚えている。S氏もモーゼを越えて生きなくて良かった.......そして私はといえば、最近目がかすみ始め、気力は十分あるのに体力が低下している現象を日々経験するようになっている….
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