2016年3月7日月曜日

建築とアートの出会い (明治生まれの父、早大の理工科で建築を学んだそうな)


私の子供の頃、父は家で製図版の上で三角定規を使いながら線を引いたりしていたのを覚えている。
  また、短い期間であったが、東大の建築科の内田先生のポケットマネーで雇われた秘書をしていたことがあり、当時の建築科の学生たちが、私の目にとてもかっこよく見えた。その後、何年か経ち新聞の記事で剣持勇氏の息子、玲さんは確かスイスのどこかで自動車事故でなくなったときいた。大学院の学生であられたがやさしく本当にかっこいい人だった。当時、すでに結婚されていたが若くして亡くなられたがきっと生きていたら一流の建築家になっていたに違いない。
画廊をはじめてから建築とアートの接点を求め始めたのも、建築に対する興味があったからだと思っている。

  美術作家とクライアントの間に立ち、快適な建築空間をプロデュースする「アートコンサルタント」、それが私の仕事だ。
企業や法律事務所、病院、学校などのとかく実用本位で退屈になりがちな場所に美術品を置くことは、そこで過ごす人々にすてきな空間と時間を与え、思いがけない効果をもたらす。病院の廊下を飾る一枚の絵に言葉ではない優しさと慰めを感じたことはないだろうか。また、企業の応接室を飾る絵が、その会社の品格を示したりする。
アメリカでは「コーポレートアドバイザー」という肩書きの専門家が1970年代から本格的に活躍しはじめた。美術の専門家ではない企業が美術品を取り入れる際に、彼らはアートコンサルタントとしてアドバイスをする。

  日本では「アートコンサルタント」の存在はまだまだ認知されていないが、美術に関する中立的な専門家が絶対に必要だ。
今後、私は、今まで培った美術品の選別をはじめ、評価や調達、基本設計や作業スケジュールなどの長年の画廊経営のキャリアを生かし、それらを広く社会に役立てていきたいと思っている。


2016年3月3日木曜日

芥川紗織(1924~1966)没後、50年をむかえて(戦後の美術界に彗星のように現れて去った天女画家)

女流画家、芥川紗織が活躍したのは、1950年代の半ば、太平洋戦争敗戦から10数年を経たころからである。人びとが戦争の荒廃や重い束縛から自らを解き放つ活動が顕著になり政府の経済白書も「もはや戦後ではない」とした時代で、自由を求め輝こうとしていた時代であった。
その頃、紗織は瑞々しい青春を謳歌しつつ、未来を夢見て上野の東京音楽学校(現在の東京藝術大学)の声楽科に入学した。同窓には後に作曲家として名をなす芥川也寸志がいた。やがて2人は恋に落ち1948年に結婚した。その紗織が絵を描きはじめる。
音楽から絵画の世界に惹かれて
 2人の娘に恵まれた結婚生活だったが、紗織は何に衝き動かされたのだろうか。何か満たされないものがあって彼女を創作活動に走らせたのだろうか。
 やがて彼女は、個展、グループ展などで精力的に作品を発表しつづける。それらは当時の前衛的作家の中にあっても異質で衝撃的なものであった。その作品は神話や民話の形を取りながら、奔放でいっそう自由自在であり、表現されているものは「女」であり、その女たちは烈しく怒り、叫び、身もだえするという烈しいものであった。まるで彼女の中に吹き荒れていた不安や葛藤を物語るようにまさしくそれは彼女の自画像であった。
離婚、そして渡米
 当時の新聞や雑誌の記事に添えられた写真を見ると、紗織はふっくらと豊かな頬をもった愛らしい女性であり、常にマスコミの話題になっていたことを窺い知ることができる。
 1958年、紗織は芥川也寸志との11年におよぶ結婚生活を解消した。その後、建築家、間所幸雄と新しい結婚をしてやがて2年後には新天地を求めて渡米する。
 ロスアンジェルスや、ニューヨークのアート、スチューデントリーグに学び帰国してからの画風は、自らの変革を目指すが如く、それまでに見られない硬質な抽象画を描き始め劇的な変化をとげる。それらの作品は色彩も限定され、過去にあったような』先鋭的な形や色が影をひそめ、落ち着いた中に静かな安定を感じさせる作品に変わっていった。
 紗織は、妻、母の役割から解放され、ひとりの女性として自らの意思で外界に眼を向ける。広大無限の宇宙に抱かれて自らを成長させる、そんな喜びを感じ始めていたに違いない。
早すぎる
 それから4年後、彼女に早すぎる死が訪れた。それは19661月、妊娠中毒症のために彼女は永遠に帰らぬ人となった。享年42歳であり、生き続けさえできたら、さらに輝かしい活躍が期待されたろうに。あまりにも早すぎ、惜しみて余りある死であった。その死からら50年が経ち、その間日本は大きな変化をとげている。
 没後50年に当たり、歴史のはざ間に埋もれるにはあまりに惜しい彼女の画業に今一度光を与えたられたら、と願っている。当画廊は、芥川紗織展に合わせて記念画集の編纂を企画している。
 紗織の作品は世田谷区美術館、東京都現代美術館、国立近代美術館、名古屋市美術館、豊橋市美術館、高松市美術館、栃木県立美術館などに収蔵されている。
  2009年春には横須賀市立美術館で芥川紗織展が企画され、愛知県の三岸節子記念美術館に巡回し、彼女の画業は広く関心を集めた。また、2012年、ニューヨークで開催された「TOKYO 1955~1970  A New Avant-Garde」展には、高松市美術館所蔵作品が出展されている。

 美術館以外の作品の多くは、ご遺族の委託を受けて今私の手許にあり、新たな展覧の機会を待っている。
 秀友画廊では今まであまり紹介されたことのない、ニューヨーク時代の作品「油彩」
を主に展示しているのでご覧になっていただきたい。芥川紗織を紹介すべく小冊子を
編集中であるが完成したら展覧会をしたいと考えているが完成は5月ころになりそうである。
連絡は shuyugallery@gmail.com または 03 3573-5335に。